今日のネタ帳

悪ふざけの話中心です。笑っていただければ幸いです。

中国の指導者やトップがみな理系出身な理由。

理系・文系の区分けにそんなに意味はないが、「ぼく文系なんで」とか「理系じゃないとわからない」とかって言葉はあちこちできく。

ネット的には理系のほうが頭いい、ってことになっているようで、「どうして日本社会は文系ばかりがえらくなるんだろう」などという嘆き節はネットの名物だ。

 

それに比べ、中国のトップには理系出身が多いが、それには訳がある。厳密には仮説にすぎないし、なにで読んだかは忘れたが書き留めておく価値があると思うので記す。

 

中国の一番偉い人、現在の国家主席習近平氏は精華大学の化学工程部で学んだ(wiki調べなので間違ってたらご指摘ください)。その前任者の胡錦涛氏も精華大学で、こちらは水力エンジニアリング学部卒だという(同上)。それ以外にも指導部を調べれば理系の博士級の人はごろごろいるはずだ。

 

以下、one point of viewということを念頭にお読みいただきたい。

で、中国の指導部に理系出身が多い理由だが、端的に言えば中国が全体主義国家だからである。別に優秀な子供を国家が理系に進ませる、という意味ではない。

全体主義国家では、思想的主流が変わると、傍流は冷や飯を食わされる。冷や飯を食わされるで済めばいいが、下手すると指導教授や家族ごと粛清・抹殺されかねない。

だから目端の利く若者は、下手に政治系とかの学部に行かない。そのかわり理系学部に進学し、粛々と業績を上げながら、出世の必須要件である党活動も行うわけである。

 

日本でも戦前、学徒出陣で駆り出されたのは文系学生であった。理系学生は兵器の開発などに回され、戦死のリスクは低かった。また、当時、医師になれば軍医にまわされて前線に立つリスクが減る、と考えた医学生もいたかもしれない。

進学する学部によって、生死を分けたケースも複数あったはずである。

 

以上、文化大革命で社会がしっちゃかめっちゃかになった中国において、自らの生き残りをかけて文系ではなく理系学部を選んだ者たちが、持ち前の才覚を発揮して数十年後に指導部に上りつめた結果、「中国の指導者やトップは理系が多い」現在に至った、という仮説を紹介した。

 

中国指導者が何を考えて若い時代に理系学部に進学したかの胸のうちを聞くことはぼくにはできないが、上記仮説は一考の価値があるように思う。

 

全体主義による粛清の恐怖が若く優秀な中国人学生に理系の道を歩ませ、その結果指導部が理系中心になり、それが遠因となって理系大国の現在があるとすると壮大な話だ。そしてその結果もたらされた顔認証技術やアリペイなどで使われている個人の行動データのビッグデータ処理技術などがさらなるデジタル全体主義を可能とするとすると、この壮大な物語はどのようなエンディングを迎えるのであろうか。