そろそろ潮時、ということなのだろう。
インターネットの大海の、そのまた浅瀬にそろりと足を踏み入れてそろそろ25年になる。 どんな盛り場だって25年もそこで遊んでいればだんだんと何かがズレてくるものだ。
むしろ25年も楽しく遊ばせてもらって感謝すべきなのだろう。
潮目が大きく変わったのはやはりスマホの台頭だ。
それまでは自宅に自腹でPCを置き、わざわざ夜の11時まで待機してからおもむろにピーヒョロロ言わせるgeekやnerdとか、仕事柄PC漬けのプログラマや研究者がネットの雰囲気を作っていたように思う。
おそらくはアメリカのヒッピーカルチャーを源流の一つに持つ、「シェア」の精神がそこにはあった。
そこではカネより何より仲間内での名声や評判が大事で、さらには「職人気質」を持つことが尊ばれた(参考資料 エリック・スティーブン・レイモンド『伽藍とバザール』第二部 ノウアスフィアの開墾)。
見知らぬ「職人」同士が作り出すネットの世界は、ひとまずは実生活とは別物で、ネットでのやり取りで多少キツい発言をしたとしても「まあネット上のことだから」と大目に見たり見られたりしていた(と思う)。
その象徴がハンドルネームで、 〈ハンドルネームを使うことには、「本当の姿は曝したくないが、そこに集う仲間内からの一定の認知や評価は得たい」「書きこんだことを、誰かに悪用されたり、誤用されることを避けたい」「ある程度の信憑性を保ちつつ、でも自分の姿は隠して気楽に書き込みをしたい」「遊びとして、実生活との切り分けをしたい」というような心性が見てとれる。〉(井上トシユキ+神宮前.org『2ちゃんねる宣言』p.162-164)
しかしスマホの台頭により、新たなユーザー層が大量に現れた。
それまでは実生活とひとまずは別物、という暗黙の了解があったネットでの言動が、突然にして実生活と直結された。
あるいは実生活での、褒められたものではないが仲間内での悪ふざけみたいなものが、唐突にネット上で「拡散」され、全世界に知られてしまうということも急増した。
「拡散」により仕事を失う者も出た(参考 ジョン・ロンソン『ルポ ネットリンチで人生を壊された人たち』など)。
ネットと実生活が地続きになってしまったことで個人的にもっともつらいことは、「ノリ」が変わってしまったことだ。
以前は通用した、スラングや符牒、皮肉や反語や諧謔、ホラ話にバッドジョークやブラックジョークというものが全く通じなくなってしまった。
かつて文末に「笑」とつければそれは皮肉めいた冷笑というニュアンスを帯びていたが、いまや心の底から愉快で笑っていると思われるようになった。
たとえば以前は「オレが昔、織田信長の家臣だったとき」と「カキコ」すれば読み手はどんなホラ話が始まるのかと呆れながら薄ら笑いを浮かべて読んでくれたが、今では「虚言癖」とこき下ろされるようになった。
読み手側の変質に対し、対策も打ったつもりではある。
この話はホラ話ですよーときちんとわかってもらえるように、文末に「嘘だけど」と明示するようにした。
ホラ話ばかりしていると本当のことを書いたときも信じてもらえなくなるから、本当のことを書くときは逆に「本当」と入れるようにした。
だがその対策も限界だと思う。
ホラ話を楽しく書いたり読んだりできるカルチャーは、ネット上で無くなってしまった。
今さら昔のカルチャーには戻らないから、ネット上でホラ話を展開するのは諦めることにしよう。
これからは粛々と、実生活上の告知や事実の提示のみをネット上で行うことにする。
ホラ話はそこらへんのチラシの裏にでも書いておくことにして、今後一切ホラ話はtweetしないことを誓う。嘘だけど。