生ハムの原木とナンの共通点をご存知だろうか。
共通点は、勇気。生ハムの原木もナンも、それを持つ者に勇気を与えてくれる。
そこに一枚のナンがあった。そのナンが全てを変えるなんて、その時のぼくは気づくこともなかった。
週末にデリバリーのカレーを頼んで、ナンだけが残った。ぜんたい、日本のインドカレーではナンが多めなのだ。
週も半ばだし、このまま冷蔵庫で朽ちていくのももったいない、とその朝ぼくはナンをカバンに放り込んで出かけた。
ナンをカバンに忍ばせた男は一味違う。
夏の日射しが強くとも、「インドに比べればこのくらいなんでもない。なんと言ってもオレはナンを持っているのだからな」とやり過ごせる。
仕事でトラブルになっても、「些細なもめごとなどインド悠久の歴史に比べれば大したことはない。みなは知らないが、オレはナンとよろしくやっている男だぞ」と平常心を保てる。
不躾な営業電話がいきなりかかってきても、「相手にしているヒマはない。なにしろ昼にはナンが待っているのだからな」とスルーできる。
ナンをカバンに潜ませると、力が湧いてくるのだ。
食べ物を隠し持つことが現代人に生きる力を与えてくれることは、2019年にすえきち@27/31@flowertoman氏によって報告された。
金字塔となった論文より引用する。
〈生ハム原木が家にあると、ちょっと嫌なことがあっても「まあ家に帰れば生ハム原木あるしな」ってなるし仕事でむかつく人に会っても「そんな口をきいていいのか?私は自宅で生ハム原木とよろしくやってる身だぞ」ってなれる。戦闘力を求められる現代社会において生ハム原木と同棲することは有効〉
生ハム原木と同棲することが勇気を与えてくれるというこのインサイトは、多くの人に影響を及ぼした。生ハムだけに波紋を呼んだわけだ。
ナンをカバンに隠して街に飛び出すというのは、生ハム原木同棲を一歩前に進めたライフハックである。
現実問題として、生ハム原木を手に持って外出するわけにはいかない。生ハム原木を肩に担いで道行けば、はじめ人間ギャートルズと間違えられてしまうからだ。
だが、ナンをカバンに隠して道を行けば誰にも気づかれない。ナンは平たくてカバンにも収まるし、なんならタブレットと一緒に持ち歩いても自然だ。パソコンのそばに置いておいたって、マウスを載せておけば誰にも気づかれない。
誰にも気づかれずにナンを隠し持てば、現代人なら誰だって思うはずだ、「そんな口をきいていいのか?オレのバックには大きなナンがいるんだぞ」と。
このように、思わぬ食べ物を隠し持つということは、日常に勇気と驚きを与えてくれる。
もしかしたらこれが、ロシア・フォルマリストたちの言う『異化』作用なのかもしれない。
誰にも知らせずに思わぬ食べ物を隠し持つというムーブメントは、現代人のライフハックとして今世界中に広がりつつある。
今この瞬間も、ニューデリーでは「そんな口をきいていいのか?お前は知らないが、オレは今、ジャパニーズ・ライス・ボールakaオニギリを隠し持っているんだぞ。yes,ニンジャ・サムライ」と言っている若きインド人ビジネスマンが活躍している。
全然まったく関係ないが、インドのインディーズ音楽シーンでは、「ナンズ・アンド・ローゼズ」というロックバンドが、「ウェルカム・トゥ・ザ・ベンガル」というカバー曲を大ヒットさせていたりしないのだろうか。
それでは皆さま良い一日を。だいじょうぶ、ぼくらにはナンがついてる。