今日のネタ帳

悪ふざけの話中心です。笑っていただければ幸いです。

総理辞任ー性別、年齢や国籍、人種、そして持病など、「じぶんの力ではどうにもならないこと」を云々してはならない、という話。

総理が辞任とのこと。
いわゆる右派的なイメージで支持を集めながら中道左派的政策を実行した、非常にユニークな政権であった。長期に渡り政権を維持し、長年官僚主導といわれた政官の関係を(よしあしはともかく)官邸主導に持っていった手腕などとともに、功罪含め、政権運営の学問的分析・研究が期待される。

 

総理辞任に伴うTwitter世論を見ると、ほぼ「お疲れ様でした」と全面的に労う声ばかりなのが日本人論として興味深い。

 

原著は未確認だが、第二次世界大戦中の話として、「日本軍は亡くなった兵士は非常に丁重に扱うし時に大きな犠牲を払って遺骨回収するが、兵士が生きている間は決して大切にしない」傾向があった、という。

 

亡くなった兵士と同列に論じるのは不適切だが、総理在任中はさんざんこき下ろした人すら、辞任した途端に丁重に労うという日本人の心証というものは、昔から変わらないのであるなあ、と思う次第である。

 

もちろんぼく自身も日本文化の中で育っているので、政治信条とは別に、「お疲れ様でした」という気持ちは一緒だ。
要は、在任中だろうが辞任後だろうが、どの人に対しても最低限の人としての礼節を持って振る舞うべきだろうという話である。

 

Twitterで今炎上している発言がある。
持病をあてこする形で総理辞任に言及した、とある議員のツイートだ(本筋ではないので匿名で扱う)。
それを見ると、「人として最低限の礼節を持って振る舞う」ことの基本ルールが見える。
非常にシンプルで、「他人に対して、じぶんの力でどうにもならないことをああだこうだ言わない」ということだ。

 

生きていると、じぶんの力でどうにもならんことは山ほどある。
性別、年齢、出身地、国籍、人種や家族のことや持病などなど。
そうした「属性」、「じぶんの力でどうにもならないこと」を他者がああだこうだ言わない、批判の対象にしない、というのはシンプルだが大事なことだ。反差別運動の根っこはそこにある。

 

外見で他者を判断するルッキズムへの批判も同様である。
顔の作りや身長、体型などで他者を批判や賞賛してはいけない、というのが反ルッキズムで、そうした顔の作りなどはまさに「じぶんの力でどうにもならないもの」だからだ。

 

批判や賞賛は、努力や学習によってどうにかなる仕事や立ち居振る舞いなどの可変な部分にのみ集中することが「人として最低限の礼節」というものである。
だからもし、男性諸氏がどうしても女性のことを褒めたければ、「お綺麗ですね」と、先天的・表面的なところを褒めるのではなく、努力により得たスキルの部分を褒めるべきである。要は「お綺麗ですね」というのではなく「素晴らしいお化粧スキルですね」と褒めれば失礼にあたらなうわなにをするやめろ苦しい痛い息が出来ない苦しい苦しい苦しいくる(日記はここで途絶えている)

 

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