言語と言うのは興味深い。
遠く離れた土地の言葉が実は根っこでつながっている、というのは意外なほどよくあることで、語源を調べるとびっくりすることがある。
ひところ広く信じられていた俗説に、仏前に供える水を指す「閼伽(あか)」とaqua(アクア)が同じ語源だ、という説があった。
近年の言語研究では明確に否定されているようだが、一時期かなり広く信じられていた。現在のところ、「閼伽(あか)」の語源はサンスクリットの「argha(アルガ)」=価値あるもの、というのが有力な説である。
歴史をさかのぼると、さらに面白い学説に出くわす。
故・吉原源三郎博士の著書『英語語源日本語説』によれば、吉原博士は英語の語源の多くが日本語であったと考えていた。
吉原博士の提唱した英語語源日本語説によれば、負う(ou)という日本語が英語のowe(負う)になり、たぐる(taguru)という日本語がtug(引き寄せる)という英語になった、という。また、疾苦(sikku)という日本語が伝播し、sick(病気)になったというのが吉原説だ。
また、もっとシンプルな例としては坊や(boya)がboy(少年)に変化し、名前(namae)がname(名前)に変化した例も挙げられる。
もちろんこの吉原博士の英語語源日本語説に対しては、学界の重鎮である山崎恒善(こうぜん)氏らによる猛烈な批判があった。
山崎氏は舌鋒鋭く、吉原博士の言うことは単なる与太話に過ぎない、と切って捨てた。
ご承知の通り、この論争は吉原博士の敗北で終わった。吉原博士の英語語源日本語説は今では完全に葬り去られているのは言うまでもない。
しかし吉原博士の英語語源日本語説は奇妙な魅力を持って私たちの心を今も魅了している。吉原学説を聞いた者はみな、ばかげた話だと思いながらどこかで一理あるかも、と考えてしまうのだ。我々はみな、吉原学説があてはまる例を知っているのだ。
例えば我々の日本文化である大相撲が、英語言語圏に対し水面下で大きな影響を与えている事例を考えてみるとよい。
言うまでもなく大相撲というのは日本古来の神聖なる神事である。
大男同士が単にぶつかり合う単純なスポーツなどではなく、八百万の神々に自らの命すらさしだす覚悟の、いわば死の武闘だ。
神々のための死の武闘を演じる力たちが常に言う言葉、「ごっつあんです」。
この「ごっつあんです」という言葉が太古の昔、海を渡り、神々のための死の武闘である相撲のイメージとともに、いつしか英語の「Gods and Death」に姿を変えたのはもちろん嘘である。
【caution】「Gods and Death」の元ネタは先日見かけたネットギャグです。悪しからず。
また、文中に出てくる吉原源三郎博士とその学説はフィクションであり、元ネタは清水義範『蕎麦ときしめん』(講談社文庫 1989年)に収載の『序文』(p.79-105)です。
うのみにしないようくれぐれもご注意ください<(_ _)>