今日のネタ帳

悪ふざけの話中心です。笑っていただければ幸いです。

スマホ人間

数日前からスマートフォンの調子が悪く、電話が繋がらない。
画面の端に「検索中」と出たままで全然ネットワークに接続しないのだ。
仕方ないから急ぎの用事では電報を打って済ましているのだが、と冗談で書きかけて、よく考えたらそもそも電報局にも電話がかけられぬ。


スマホの会社のサイトに載っている方法は全て試してみたがダメで、いよいよもって通信会社の窓口に行かないといけない。
携帯電話本体はこのあいだ替えたばかりだし、本体ではなく中のSIMカードの問題か、と考えてふと思った。携帯電話の「本体」とはそもそもなんであろうか。

 

通信機能こそが携帯電話の本質だ。ということは、外側のiPhone部は仮の姿、中のSIMカードこそが「携帯電話の本質」=「携帯電話の本体」ではないか。


人間に例えるならばこういうことだ。仮に、全脳移植が可能になったとして、A氏の肉体にB氏の全脳を移植したとすれば、そこにある個性はB氏のものである。つまり体積的に小さかろうと、脳こそが人間の「本体」である。


これと同じことがスマホにも言えるはずで、体積に小さかろうとSIMカードこそがスマホの本体である、と書きかけてふと気付いた。
通信こそがスマホの本質であるとしても、人体とのアナロジーで言えばSIMカードは音声発生装置である口であり、音声捕捉装置である耳なのではないだろうか。
控えめに言っても口と耳が人間の本体であるとするのは困難であろう。

 

この疑問を世に問うためにあえて中途でFacebook にアップした。
アップした段階で確かなことは2点あって、少なくともアップのために使用したiPadのほうは活きているということと、iPhoneSIMカードのどちらがスマホの本体なのかを聞きただすためには、やはり是が非でもdocomo ショップに行かねばならぬということだ。

とそんなことを書いてみたら友人から指摘があった。
「君は通信こそがスマートホンの本質であると云ふわけだね。通信機能をつかさどるのは当然ながら使用者である君なわけだから、云ってみればスマートホンの本質的な本体は君自身といふことになるな。いや愉快愉快」

そうか、と俺は合点した。
そういえばここ数日、なんとはなしに体の調子がよくないと思っていたのであった。
これですべては説明がいく。

 

俺こそがスマートホン。

本質的には、俺自身がスマートホンであったのだ!

すなわち「検索中」の文字は、自分自身を見失ったぼく自身の状態をこそ示す文字であるのだ。

必要なものは?そう、電波だ。

友人の言葉をきっかけに、俺は突如としてこの世界のありようを悟った。

そしていわば末端の一臓器に過ぎぬ物言わぬスマートホンを打ち捨て、俺は電波を求めて世界へ飛び出した。

~完~