バーと寿司屋・ラーメン屋の違い、あるいは液体と固体の違いについて考えている。
「小粋な客」、というのは、酒場通いや食べ歩きが趣味の人が一度は目指すものだ。
お店の人に顔を覚えてもらってはいるが変に常連ぶらず、店が混んできたらさりげなく席を空け、あっさりとしながらもその店を愛す。
そんな小粋な客の作法の一つに、「良かったら一杯奢らせてくれ」というのがある。
カウンター越し、薄暗い照明の下、手持ち無沙汰のバーテンダーがグラスを磨いている。お客もしばらく来なそうだ。そんなときに小粋な客がこう言う。「今日はちょっといいことがあってね。良かったら一杯奢らせてくれないか」。
奢るのはなんでもいい。バーテンダーが試してみたいカクテルでもいいし、スモーキーで美味いが自分で飲むには少々値が張るスコッチでもいい。
バーにしてみれば売り上げが上がるし、バーテンダーも酒の嗜みの経験値が上がる。
バーテンダーは「いいんですが?じゃあご馳走になります」なんて言って自分で酒を用意して口にして、そしてまたふつうの時間が流れる。
映画『コヨーテ・アグリー』でも、女性バーテンダーが酔客にテキーラショットを奢られたときに泥酔しない方法なんてシーンがあった。バーの客がバーテンダーに一杯奢るというのは洋の東西を問わずみられる作法なのだろう。
しかしここで一つの疑問が生まれる。
客の払いでサーブする側に奢るという行為、バー以外でやったらどうなるか。
回らない寿司屋に行くとする。
「今日はちょっといいことがあってね。良かったら一貫奢るよ」と客が言う。「いいんですか?じゃあせっかくだからコハダいただきます」と寿司屋が言って、自分でキュキュッと一貫握ってパクリとたべるなんてみたことがない。
回らない寿司屋に行く機会があまりないせいかも知れないが、ラーメン屋でも「今日はいいことがあってね。良かったら一杯奢らせてくれないか。もちろん全マシで」なんてのも見ないなあ。「せっかくだからメンマ多めいいっすか?」とかね。
まあでも、寿司屋やラーメン屋でもビール奢るなんてのは自然だから、やはり液体と固体の差なのだろうか。
そんなことを話していたら友人Mが言った。
「今日はいいことがあってね。良かったら一枚奢らせてくれ」
「いいんですか?じゃあお言葉に甘えて1枚いただきます」
そういっておもむろに袋をやぶって患者さんの湿布を貼る整形外科医もいないじゃないか。
さらに言えば、「良かったら1本奢るよ」と言われて「せっかくだからゴチになります」なんて言って自分で処方した点滴を刺す内科医もいないから、やっぱり液体と固体の差でもないのだろうか。
なぞは深まるばかりである。