人気漫画『こちら亀有公園前派出所』の舞台、東京は亀有の駅前の交番では、
「両さんいますか?」ときくと、「今日は非番だからパチンコ屋にいるんじゃないかな」とか「喫茶店でサボってるはずだよ」とか答えてくれるという。
原作に忠実に答えることで、子どもの夢を壊さない配慮なのだろう。ほんとに素晴らしいことだと思う。
現実の世界を舞台にしたフィクションの場合、「聖地巡礼」といわれるように、その場所にいって物語にひたる、という楽しみかたがある。
古くは『赤毛のアン』の舞台であるカナダのプリンス・エドワード島がそうだし、近年いくつものアニメでも聖地巡礼が大流行しているという。
観光客目線で言えば、憧れの物語の舞台を訪れて胸をときめかせるというのはとても素敵な体験だ。ぼく自身も、藤子不二雄の『タイム・パトロールぼん』という漫画を読んで、メキシコのチェチェンイッツアという遺跡を訪れたことがある。あれはたしかにわくわくするものだった。
だが反対に、現地で暮らしている住民の視点になってみるとどうだろう。
日々の生活をフツーに送っている自分の地元が、知らない間になにか有名な物語の舞台となったとしたらどうか。はじめのうちは誇らしく思うだろうが、毎日まいにち訪れるフィクションのファンの人たちに、「両さんいますか?」とか「赤毛のアンはどこ?」とか「タイム・パトロールぼんはいないの?」とか尋ねられたらうんざりしないのだろうか。
京都の人たちが「いけず」なのは、何百年も続く観光客にうんざりしたから、という説を聞いたことがある。観光客たちが我がもの顔で自分の生活圏を荒らしまわるようなことが先祖代々続くような生活だと、「いけず」にもなるというものらしい。
そうは言っても、わざわざ自分の生活圏に憧れて足を運んでくれる人にはできる限り親切にして、彼らが持っているファンタジーを育めるような対応を心掛けたいものだ。
そういう意味で、冒頭にあげた亀有駅前交番の警察官の方々の対応というのはパーフェクトと言ってよいであろう。
ぼくは本業ではクリニックの医師として働いている。
今のところまだ観光客は来ていないが、もし将来ぼくのクリニックに観光客が来ることがあったら、亀有の警察官のかたがたを見習うことにしたい。
もし将来、観光客に「ブラックジャック先生いますか?」ときかれたら、「今日は手術費1000万円の取り立てに行っているよ」とか「無免許だからしばらく高飛びしてる」と応じようと思う。アッチョンブリケ。