今日のネタ帳

悪ふざけの話中心です。笑っていただければ幸いです。

専門外のものはみな似て見える、という話。

自分になじみのある世界のものは細かく区別ができる。

その逆に、自分に縁遠い世界のものはみな似て見える。

 

日本語話者であるぼくたちにとって、漢字やひらがなやカタカナはそれぞれ違って見えるが、アラビア語タイ語の文字というのはみな同じように見える。

以前は自動車に興味がなかったので道行く車の区別がつかなかったが、少しだけ最近分かるようになってきた。

ただ芸能人に関心のないぼくには、ジャニーズやAKBのメンバーというのは誰もが皆似て見えてしまう。また、大相撲にもあまりなじみがないので力士の顔もみな一様に「お相撲さん」に見えるのだ。

芸能界や大相撲のファンになって、その世界にどっぷりつかっていくと細かな(その世界の人にとっては細かくないのだろうが)差異でそれぞれ見きわめがつくようになるのだろう。そうやってそれぞれの業界の情報を集めているうちに、やがて個々のメンバーのキャラが立ってきて、それぞれがまったく個性的な存在に見えてくるのだろう。

どんな業界であれその境地に至るまでは修行が必要で、芸能人や力士や、あるいはアラビア語だのタイ語だのの世界を学ぶのに相当の時間とエネルギーを費やさなければならない。それぞれの世界で差異を楽しめるようになるには、覚悟と時間と気力、集中力が必要なのだ。

 

さまざまな事柄にこだわりを持ち、細かな差異を楽しめるというのは少しだけ憧れる。

そうは言っても社会人の身、自分の専門分野のことだけで正直日々忙しい。

自分の専門分野の医療の中の、さらにはその中の一分野の脳神経内科の分野のそれまた一部でああだこうだと、外から見たら細かい部分にこだわって仕事をしているうちに専門家であり専門バカでありという存在になっていく。

自分の専門分野の細かな差異に気づきこだわるから専門家として仕事ができるわけだが、残念ながらなにかを得るものはなにかを失う、ということで、いつしか専門外のことはまったくわからなくなっていくのだ。悲しいことであるなあ。


最近それを実感したのは自分の専門外の経済雑誌「プレジデント」をパラパラと読んでいたときだ。知人のインタビューが載ったということで喜び勇んで普段は買わない『プレジデント」を買ってページをめくったのだが、出てくる経済人の顔が皆、同じ顔に見えてしまうのである。
ページをめくってもめくっても、メガネを外した大前研一、白髪の大前研一、老けた大前研一、若い大前研一、やせた大前研一、ぽっちゃりの大前研一、とにかく大前研一の分身のオンパレード。

なるほど自分にとって経済人のステレオタイプ大前研一なのかと痛感した次第である。